旧野崎家住宅は江戸時代末期ごろより野崎武左衛門が塩田開発と新田開発を手がけて財をなし天保から嘉永年間に次々と築いていった民家である。総敷地面積は約3000坪、敷地内には、枯山水の庭園、約42mの奥行きがある主屋、玄関棟と表書院が建つ。正面には長屋門と御成門を構え、北に内蔵などの土蔵群が並び、建物延床面積は、1000坪近くに及ぶ。野ア武左衛門は、1827(文政10)年から1863(文久3)年にかけて野崎浜(現在のJR児島駅周辺)など161haの入浜
式塩田を開発したほか、岡山藩の命により、福田新田652ヘクタールの大干拓事業を成功させ、1853(嘉永6)年に大庄屋に取り立てられた。雄大な規模の上層民家で屋敷全体の構成も貴重であると、国の重要文化財に平成18年12月19日指定されている。